『マイ・ブルーベリー・ナイツ』

原題:“My Blueberry Nights” / 監督・原案:ウォン・カーウァイ / 脚本:ローレンス・ブロックウォン・カーウァイ / 製作:ジャッキー・パン、ウォン・カーウァイ / 撮影監督:ダリウス・コンジ,A.S.C.,A.F.C. / 編集・美術:ウィリアム・チャン / 衣裳デザイン:ウィリアム・チャン、シャロングローバーソン / 音楽:ライ・クーダー / 出演:ノラ・ジョーンズジュード・ロウナタリー・ポートマン、デイヴィッド・ストラザーン、レイチェル・ワイズ / ブロック2ピクチャーズ制作 / 配給:Asmik Ace

2007年フランス・香港合作 / 上映時間:1時間35分 / 日本語字幕:松浦美奈

2008年03月22日日本公開

公式サイト : http://blueberry-movie.com/

日劇PLEXにて初見(2008/03/21) ※特別先行上映



[粗筋]

 ニューヨークの片隅にあるカフェ。エリザベス(ノラ・ジョーンズ)が電話をかけて問い詰めたのは、ある男の素行。電話では埒があかず訪ねて直接話を聞くと、男は他の女と食事に来ていたという。エリザベスは男の部屋の鍵をマスターに託し、来たら突き返してやってくれ、と言い残して去っていった。

 だが未練なのか、エリザベスはふたたびそのカフェを訪れて、鍵が男の手に戻ったのか確かめてしまう。マスターは閉店後の店に彼女を招き入れ、話し相手になってくれた。

 以来エリザベスは、そのマスター――ジェレミー(ジュード・ロウ)と語らうため、夜ごとに店を訪ねるようになった。だが、駅でトラブルに巻き込まれ鼻血を流して店に駆け込んだその夜、彼女はある想いを胸に、ジェレミーに告げることもなくニューヨークから出て行った。

 あてのない旅。バスが辿り着いた土地にしばし踏み止まり、働いて金を稼ぎながら、エリザベスは巡り逢った人々のことを綴った手紙を、ジェレミーに幾度となく送った……



[感想]

 私にとって、中国圏で情緒と想像力に富んだ恋愛映画を撮り続けてきたウォン・カーウァイ監督初の英語作品というよりも、グラミー賞8冠に輝く歌姫ノラ・ジョーンズ映画初主演作というよりも、脚本に“マット・スカダー”シリーズでミステリ史にその名を刻む名匠ローレンス・ブロックが関わっていたから、という理由から楽しみにしていた作品である。

 だが、その意味では物足りない作品だった、と言わざるを得ない。ミステリ風味は微塵もなく、それどころか様々な情報を総合すると、ブロックの手懸けた部分があまりない、という疑いさえある。もともとウォン・カーウァイ監督は撮影前に明確な脚本を用意しないスタイルを採用しており、前作『2046』にしたところが、それが災いして完成まで5年という長きを費やしたという話だ。現場でも相当頻繁に書き換えが行われていた、というプロダクション・ノートの記述からして、仮に先行して脚本を手懸けていたとすれば、どの程度形跡を留めているものか。完成してから整頓したとすれば、そこにブロックの手癖が現れる可能性も当然ながら低くなる。唯一、デイヴィッド・ストラザーンが演じていた“アル中の警官”という役柄に、面影を窺うのみだ。

 しかし純粋に映画として観る限り、非常によく出来ている。手法故に描写ごとの結びつきは薄く、緩い印象を齎すものの、しかしまるっきり別々に切り離されてはいない。このあたりに、ウォン・カーウァイ監督単独の脚本でない効果が認められる。また、個々の出来事の結びつきが緩い一方で、全体ではきちんと筋が通っているため、極めて柔らかな作品世界が構築されている。この匙加減が、表現を重視した作品には珍しい、居心地の良さを演出しているのだ。

 語り手として、これが映画初主演であり、役者として余分なイメージを纏っていないノラ・ジョーンズを起用したことも大きい。それ故に作品の空気に、観る側が馴染みやすくなっている。しかしその一方で、彼女が映画初出演とは俄に信じがたいほど台詞の扱いが巧く、存在感も大きい。もともとシンガーとして卓越した表現力の持ち主であることは承知しており、R&Bなどから転身した役者よりも巧くこなすだろう、ぐらいには思っていたが、会話のテンポの作り方、口振りの表現が実に優れている。更には無言で、ただ佇んでいるだけでも雰囲気を醸し出しているあたり、ちょっとした衝撃であった。周囲が名優揃いであるにも拘わらず、作品の柔らかさをその親しみやすい演技で補いながら、決してまわりに負けていない。

 かといって他の俳優が劣っていたわけでもなく、それぞれに決してクセは強くないが、しかし俳優の雰囲気や個性に似合った人物を自然に、説得力たっぷりに演じていて、見応えも充分だ。ジュード・ロウにしてからが、彼としては珍しくかなり特徴の乏しいキャラクターを与えられているのだが、しかしきっちりとインパクトを残している。名のある俳優のみならず、多少なりとも台詞のある役を演じている者がことごとく存在感を示している点でも出色である。

 描かれていることがすべてを説明しきった、という印象もないまま幕を下ろす物語であるため、がっちりと構成されたプロットや伏線の妙、静かながらも饒舌な表現を期待する向きには合わないだろうが、それでも豊潤な味わいを備えた映像、演出は、かなりすれっからしの映画好きに強く訴えかけてくる。しかし同時に、いつまでも浸っていたくなる作品世界とその甘い舌触りは、普通にデート・ムービーとしても気軽に鑑賞できる仕上がりだ。

 突出した大傑作ではないし、出来ればもっと印象的な台詞が欲しかったところだが、しかし観終わってこれほど心地好さを味わうことの出来る作品は決して多くない。ほんのりと記憶に留まる、秀作である。

 なお本編でノラ・ジョーンズが提供したのは1曲のみだが、そのサウンドトラックの選曲にはかなり意見を出しているらしい。それもあってか、音楽の完成度も極めて高い。映画・サウンドトラック共に、彼女の音楽を好む人の期待は裏切らないだろう。